小山弓具について
伝統と誠実に向き合い、
伝統の先頭を進む。
1780年(安永9年)に創業した小山弓具。
200年の伝統を受け継ぐ九代目代表のご挨拶と弓具に革新を起こしてきた
歴史をご紹介します。
私ども小山弓具はお客様との対話を大切にしています。インターネットが普及し通信販売が当たり前となった現代ですが、可能な限り実際に商品を手に取り、素材や質感の違いを確かめながら、ご自身に合った商品をお選びいただきたいと願っております。
また、各店舗には弓、矢、弽の技術を受け継いだ専門の職人たちがおります。豊富な知識や経験を元に、お客様の弓具選びのお手伝いをさせていただきます。
広い店舗スペースと充実した商品数をご用意しておりますので、通信販売サイトをご利用いただいているお客様、ご遠方のお客様にも、お近くにお越しの際には是非一度足をお運びいただければ幸いです。
創業200年を超える弊社には、長年培って来た技術を未来へ引き継いでいく責任があります。その一方で、時にはこれまでの常識を打破するような新たな弓具を開発することも使命だと自負しております。常にお客様の声に耳を傾け、現状に満足することなく、この先も伝統に裏打ちされたより良い弓具を世に送りだして行く所存です。
これからもお客様に寄り添う弓具店を目標に社員一同精進して参りますので、今後とも末永くご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
株式会社小山弓具 九代目代表 塙 将一
1780年
初代 源祐
弓好きだった源祐が弓づくりを始める。
源祐が作った弓はよく飛ぶと評判となり、江戸弓師として開業する。
1798年
二代目 光盛
江戸の人口も増え、江戸三十三間堂の「通し矢」が盛んな時期であった。
1830年
三代目 降景
天保の大飢饉の最中にあり、世情不安の時代であった。
1859年
四代目 得蔵
安政二年、安政の大地震が起こる。このような世情を反映してか、当時江戸では賭弓が流行した。
1890年
五代目 成三郎
この頃、花街には町矢場が多くなり、弓道にとっては荒廃の時代であった。
1900年
六代目 勝之助
小笠原流宗家(神田教場)に御用弓師として出入りを許される。
勝之助は籐の製作に優れた才能を発揮し、特に重籐弓を最も得意とした。
1930年
七代目 茂治
十四歳の時、吉田音吉に預けられる。
音吉は、江戸弓師・上村重兵衛、明治の弓師・佐野新五郎と師弟関係にあり、江戸弓師の流れを受け継いでいる。
茂治は独立後、昭和八年皇太子(今上天皇)誕生の折、現代弓師として献上弓製作の栄を受ける。
1963年
小山弓具株式会社 設立 (代表取締役 小山茂治)
1981年
埼玉県北本市に直心館弓道場および埼玉支店を開設
1986年
八代目 雅司
1971年にグラス和弓開発第1号を和歌山国体で発表。
その後「実技」「練心」「直心シリーズ」なども順次発売し、弓道の普及に貢献する。
1987年には竹に炭素繊維を内蔵した、笄の少ない画期的な竹弓「清芳」を発売する。
この「清芳」で京都三十三間堂の「通し矢」再現に挑戦し、その高性能を実証した。
1989年に弓師として一番名誉ある今上天皇大嘗祭の弓と矢の製作に携わる。
1989年
株式会社小山弓具に社名変更 (代表取締役 小山雅司)
2006年
九代目 将一
2007年に節付グラスカーボン弓「清雅」、また2008年には炭素繊維を曲面構造にしたアーチカーボン弓「鵠心」を発売する。
2011年
神奈川県藤沢市に藤沢支店を開設
2017年
埼玉支店リニューアルオープン
弊社は、六代目勝之助の時代に小笠原流宗家の御用弓師となり、七代目茂治は二十九代宗家小笠原清明に改めて「御弓師」の看板を賜りました。小笠原清明の元で小笠原流弓具のすべてを極め、以来、免許を授与された門人のみが使用する事が出来る弓の製作を、日本で唯一お許し頂いている弓具店です。
小笠原流では、騎射と歩射のそれぞれに免許が与えられますが、一般に与えられる弓の免許は4種類です。位の高い順から、重籐弓、相位弓、修善弓、三品籐弓(修善弓、三品籐弓は歩射のみの免許)となり、弊社ではその全ての弓と、流鏑馬に使用する騎射弓を製作しております。
これからも小笠原流御用弓師としての矜持と責任を胸に、先祖より受け継いで来た伝統の技を益々磨き、研究に励み、常に前進を続ける「職人集団」として弓道発展の一翼を担って行きたいと考えております。
社名
株式会社 小山弓具
本社
101-0041 東京都千代田区神田須田町1-6
TEL:03-3256-2001 / FAX:03-3256-2067
創業
1780年(安永九年)
法人化
1989年(平成元年)
資本金
1,500万円
代表取締役社長
塙 将一
会長
小山 雅司
事業内容
弓具製造・販売
従業員数
18名
取引銀行
りそな銀行神田支店
全ての式弓・騎射弓は、まず白木弓の節を落とし関板の段差を取る事から始まります。その後、弦通りと成りの調整の為に小村をし、内竹・外竹の皮を刮げ取り、紙鑢をかけた後に漆を塗る行程へと移ります。
修善弓・三品籐弓は素塗りと言って、前述の弓に直接漆を塗り重ね(三品籐弓は州浜形の文様が付くように)朱の透漆で仕上げていきます。漆は魔物と言われる事もあるぐらい色の調整が難しいものです。色の濃淡を見極めながらの作業にとても気をつかいます。
一方、重籐弓、相位弓、騎射弓は黒漆塗の弓で、先程の素塗りの弓とは製法が全く異なります。最初の弓の加工が終わった後に漆を塗る準備として、木綿の糸を本弭から末弭まで一気に巻いていきます。細い木綿糸を緩まないように一定のテンションをかけながら弓全体に巻いていくのは、気力と体力のいる作業です。この後に、下地から仕上げまで数種類の漆を、塗っては乾かし研ぐという作業を10回前後繰り返し、最後に艶出しをして土台となる弓の完成となります。
それぞれ漆を塗り終えた弓は籐巻きの作業に移ります。位によって籐の巻き方が異なりますが、寸法・間隔などには法則があり、それに従って籐を巻いていきます。どの位の弓も終始気が抜けず緊張感を持って仕上げていきますが、中でも重籐弓は格別です。
<大名のみが用いる事が出来る弓>というこの弓は、一張の弓に、合計70ヶ所もの籐を巻いていきます。多少の寸法・間隔のズレも許されない為、全神経を集中して作業を進めていきます。
籐を巻き終えた弓は最後に、全天候型の弓に仕上げる為に共色の漆で口取りをします。これは雨天でも籐が取れないようにする配慮と考えますが、籐の巻き始めと巻き終わりの弓と籐の隙間を、漆で細い線を引きながら埋めていく作業で、かなり高度な技術と集中力が必要となります。仕上げに射手の手に合わせて、それぞれの弓の法則に従って黒の握り革を巻いて完成となります。
これらの弓は現在、全国各地の神社で執行される歩射による儀式や、流鏑馬神事において使用されております。